懲りない面々の行く末は・・・

チェルノブイリ原発事故から35年
あなたは、この事故から何を学び、何を教訓としましたか?

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【 本日(2020.04.25)の天風録 ↓ ↓ ↓ 】

(こ)どもの 遺伝子(いでんし)に (おや)の 被曝(ひばく)の 影響(えいきょう)は (み)られなかったー。死者(ししゃ)を 大勢(おおぜい) (だ)した (きゅう)ソ連(それん)の チェルノブイリ原発(げんぱつ)事故(じこ)から 35(ねん)。 被曝(ひばく)した 周辺(しゅうへん)住民(じゅうみん)らの (こ)どもを 調(しら)べた 研究(けんきゅう)グループが 発表(はっぴょう)した。この結果(けっか)に、各地(かくち)の 原発(げんぱつ)(ちか)くの 住民(じゅうみん)で 安心(あんしん)する (ひと)は いるだろうか

事故(じこ)の 8年後(ねんご)、現地(げんち)を (おとず)れた 福島(ふくしま)の 詩人(しじん) 若松 丈太郎(わかまつ たけたろう)さんは 「(かみ)(かく)しされた (まち)」という (し)を (よ)む。(ひと)が (き)えた 廃墟(はいきょ)の (まち)と 自分(じぶん)の (まち)を (かさ)ねて。〈(わたし)たちの (かみ)(かく)しは きょうかも しれない〉 やがて 福島第1原発(ふくしまだいいちげんぱつ)事故(じこ)が (お)きた

 

 

 

予言(よげ)(し)だーと (さわ)がれた。「福島(ふくしま)に 不安(ふあん)を (おぼ)え、(よ)んだが 本当(ほんとう)に なった」。8年前(ねんまえ)、南相馬市(みなみそうまし)に 詩人(しじん)を (たず)ねると (かな)しげに (かた)った。若松(わかまつ)さんは 原発(げんぱつ)を 「核発電(かくはつでん)」と (よ)ぶ。「核物質(かくぶっしつ)、核反応(かくはんのう)を 使(つか)うのは 原発(げんぱつ)つまり 核爆弾(かうばくだん)と (おな)じだから」と

▲インタビュー(ご)、被災地(ひさいち)を (くるま)で 一緒(いっしょ)に (めぐ)った。地震(じしん)と 津波(つなみ)と 「核災(かくさい)」で (ひと)の 姿(すがた)が (き)えた 福島(ふくしま)の 町々(まちまち)。廃墟(はいきょ)を (み)つめる まなざしは (するど)かった。核災(かくさい)を 告発(こくはつ)し、戦後(せんご)日本(にほん)の 姿(すがた)を (と)う (し)や 評論(ひょうろん)を (か)き (つづ)ける。だが 訃報(ふほう)が (とど)いた

運転(うんてん)40(ねん)を (こ)す 原発(げんぱつ)の (さい)稼働(かどう)を 地元(じもと)の 福井県議会(ふくいけんぎかい)が 容認(ようにん)した という。(わたし)たちは まだ原発(げんぱつ)に (たよ)り、(うご)かすのか。若松(わかまつ)さんの 作品(さくひん)が また予言(よげん)(し)に なりは しないか。』

1986年4月26日午前1時23分に起きたチェルノブイリ原発事故。

この事故のことが忘れかけたころに、

今度は日本の福島で・・・

2011年3月11日に発生した、福島第1原発事故・・・

災いは忘れたころにやって来る。

2度あることは3度ある・・・

あえて、この3度目の候補地になる必要はないと思うが... 如何に