太平洋ベルト地帯の人口カバー率・・・
あなたは、「人口カバー率」という言葉を知っていますか?
本日の天風録で
「人口カバー率」という言葉を知り、
学び、活用方法を考えてみました。
【 本日(2021.08.28)の 天風録 ↓ ↓ ↓ 】
夏休(なつやす)みの 宿題(しゅくだい) よろしく 白地図(はくちず)に 赤鉛筆(あかえんぴつ)で 色付(いろづ)けしてみた。コロナ禍(か)で 緊急事態宣言(きんきゅうじたいせんげん)が 出(で)ている 21都道府県(とどうふけん)だ。すると 広島(ひろしま)から 東京(とうきょう)までの 新幹線沿線(しんかんせんえんせん)は 隙間(すきま)なく つながった。「太平洋(たいへいよう)ベルト地帯(ちたい)」の 言葉(ことば)は 今(いま)も 教科書(きょうかしょ)に 載(の)る だろうか
▲ 続(つづ)いて 電卓(でんたく)に 持(も)ち替(か)える。昨年(さくねん)の 国勢調査(こくせいちょうさ)の 速報値(そくほうち)を 用(もち)い、この緊急事態(きんきゅうじたい)エリアの 人口(じんこう)を 合計(ごうけい)してみると 9575万人(まんにん)。全人口(ぜんじんこう)1億(おく)2622万人(まんにん)の 75.86%に 上(あが)った。今度(こんど)は 携帯電話(けいたいでんわ)ショップで よく耳(みみ)にしていた 「人口(じんこう)カバー率(りつ)」の 言葉(ことば)を 思(おも)い出(だ)す
▲ 夏休(なつやす)み 明(あ)けに 合(あ)わせるかの ように、きのうから 広島(ひろしま)、岡山県(おかやまけん)も 3度目(さんどめ)の 緊急事態(きんきゅうじたい)に 入(はい)った。とりわけ 感染(かんせん)が 拡大(かくだい)し 始(はじ)めた 子(こ)どもたちや 教師(きょうし)の 不安(ふあん)は いかほど だろうか。教室(きょうしつ)で 級友(きゅうゆう)と 再会(さいかい)できたとしても、部活(ぶかつ)や 修学旅行(しゅうがくりょこう)への 影響(えいきょう)が 広(ひろ)がりそう
▲ それにつけても デルタ株(かぶ)の 感染力(かんせんりょく)の 強(つよ)さよ。日(ひ)ごとに 重症者(じゅうしょうしゃ)ベッドの 患者(かんじゃ)が 増(ふ)え、医療従事者(いりょうじゅうじしゃ)の 疲労(ひろう)も、自宅療養者(じたくりょうようしゃ)の 心配(しんぱい)も、どちらも 蓄積(ちくせき)していく。どれほどの 辛抱(しんぼう)を 皆(みんな)で 分(わ)け合(あ)えば、トンネルの 出口(でぐち)が 見(み)えるのか
▲ 経済成長(けいざいせいちょう)を 重視(じゅうし)する あまり、私(わたし)たち 大人(おとな)が 長年(ながねん)やり 残(のこ)してきた 宿題(しゅくだい)がある。感染症(かんせんしょう)に もろい 一極集中(いっきょくしゅうちゅう)の ひずみを どう克服(こくふく)していくかー。( ー 引用 ー )
改めて、
本日の天風録を読んで
課題が見つかれば、対策が見つかり、
改善に向けて行動していくことが
できることに気付かせてもらいました。
特に、
経済成長に於いては、マイナス面ばかりが
目立ちますが、改善させることにより
プラスへと局面が変わることに
気付きました。
ありがたい話でした。
あなたは、そのことに気付きましたか?
そして、
あなたは、その気付きをどの様に計画し行動していきますか?
暴力団追放の精神と決意・・・
あなたは、暴力団排除条例が施行された背景を知っていましたか?
本日の天風録では、
暴力追放の精神と決意について
学び、教えてもらいました。
そして、
このように行動して行こうと思いました。
凶暴(きょうぼう)になり、市民(しみん)にも 平気(へいき)で 銃口(じゅうこう)を 向(む)けるように なったー。組織犯罪(そしきはんざい)に 詳(くわ)しい 作家(さっか)溝口 敦(みぞぐち あつし)氏(し)が 警告(けいこく)を 発(はっ)して 10年(ねん)になる。暴力団排除条例(ぼうりょくだんはいじょじょうれい)が 全(ぜん)都道府県(とどうふけん)で 施行(せこう)され、資金源(しきんげん)を 絶(た)たれのが 変質(へんしつ)の きっかけ だった
▲ 殺害(さつがい)も 辞(じ)さず、邪魔(じゃま)する者(もの)は 誰(だれ)であれ 牙(きば)を むいたのが 北九州市(きたきゅうしゅうし)の 工藤会(くどうかい)である。全国(ぜんこく)唯一(ゆいいつ)の 「特定危険指定暴力団(とくていしていぼうりょくだん)」が、札付(ふだつ)きの 悪(あく)の証(あか)しだろう。銃(じゅう)は おろか、手投(てなげ)げ弾(だん)まで 使(つか)う 凶暴(きょうぼう)さで 地域全体(ちいきぜんたい)を 恐怖(きょうふ)に 陥(おとしい)れている
▲ 市民(しみん)を 狙(ねら)った 四(よ)つの事件(じけん)で 工藤会(くどうかい)トップに 極刑(きょっけい)が 言(い)い渡(わた)された。「鉄(てつ)の団結(だんけつ)」を 誇(ほこ)る 組織(そしき)だから、下々(しもじも)の 組員(くみいん)の 言動(げんどう)は 「神(かみ)みたいな 存在(そんざい)」の トップの 意向(いこう)に 従(したが)うはずだ。そう断(だん)じた 判決(はんけつ)は 画期的(かっきてき)だ
▲ 判決(はんけつ)を 取(と)り上(あ)げた おとといの 小欄(しょうらん)に、工藤会(くどうかい)の 擁護(ようご)か との声(こえ)が 届(とど)いた。誤解(ごかい)を 招(まね)いたのなら 本意(ほんい)でない。本紙(ほんし)の 暴力団追放(ぼうりょくだんついほう)キャンペーンは 半世紀(はんせいき)以上(いじょう)前(まえ)から 続(つづ)く。「暴力(ぼうりょく)を 許(ゆる)さない」精神(せいしん)は 既(すで)に 広島(ひろしま)に 根(ね)付(づ)いていよう
▲ キャンペーン初期(しょき)の 動(うご)きを まとめた 1965年(ねん)の 「ある勇気(ゆうき)の 記憶(きおく)」は 巻末(かんまつ)に こう記(き)す。〈 暴力(ぼうりょく)が ある限(かぎ)り、戦(たたか)い 続(つづ)け なけらば ならない。新聞記者(しんぶんきしゃ)は ただ書(か)き続(つづ)ける。善良(ぜんりょう)な 市民(しみん)の 立場(たちば)に 立(た)って・・・ 〉。その決意(けつい)は 今(いま)も 変(か)わらない。(ー引用ー)
改めて、
暴力反対!暴力追放!と、
考えさせられ学ぶことが出来ました。
「暴力は許さない」の精神で、勇気をもって
暴力に立ち向かって行こうと思いました。
あなたは、
本日の天風録で
何を感じ、
何を学び、
そして、どう行動をしようと思いましたか?
原爆症認定集団訴訟の全国原告団長「泣き虫の闘士」・・・
その山本英典さんのことについて
学び・教えてもらいました。
怒(いか)りに 震(ふる)えながら 国(くに)を 批判(ひはん)した。苦(くる)しみをさらす 被爆者(ひばくしゃ)の 思(おも)いを 代弁(だいべん)しては こらえきれずに 涙(なみだ)した。泣(な)き虫(むし)の 闘士(とうし)。そんな姿(すがた)ばかりが 思(おも)い出(だ)される。原爆症認定集団訴訟(げんばくしょうにんていしゅうだんそしょう)を 全国原告団長(ぜんこくげんこくだんちょう)として 率(ひき)いた 山本 英典(やまもと ひでのり)さん。今月(こんげつ)8日(ようか)に 88歳(さい)で 亡(な)くなった
▲ 原爆(げんばく)の日(ひ)の 9日(ここぬか)は 絶対(ぜったい)嫌(いや)だったろうと 仲間(なかま)は 言(い)う。12歳(さい)のとき 長崎(ながさき)で 被爆(ひばく)。上京(じょうきょう)して 大学(だいがく)を 卒業後(そつぎょうご)、政党機関紙(せいとうきかんし)の 記者(きしゃ)などを 経(へ)て 被爆者運動(ひばくしゃうんどう)に 身(み)を 投(とう)じる
▲ 病気(びょうき)は 原爆(げんばく)の せいだとして 援護(えんご)する 原爆症認定(げんばくしょうにんてい)。その基準(きじゅん)の 実態(じったい)は 切(き)り捨(す)ての 物差(ものさ)しだった。被爆者(ひばくしゃ)は 老(お)いを 深(ふか)め、自身(じしん)も 60歳(さい)を 過(す)ぎ 大病(たいびょう)を 患(わずら)った。集団訴訟(しゅうだんそしょう)を 貫(つらぬ)いたのは 原爆(げんばく)で 失(うしな)われた 命(いのち)、暮(く)らし、心(こころ)への 国家補償(こっかほしょう)を 求(もと)める 信念(しんねん)から だろう
▲ こうと決(き)めたら 一直線(いっちょくせん)。東京(とうきょう)・八王子(はちおうじ)の 霊園(れいえん)に 共同墓(きょうどうぼ) 「原爆被爆者之墓(げんばくひばくのはか)」を 建立(こんりゅう)したときもそう。後々(のちのち)の 管理(かんり)を 心配(しんぱい)する 声(こえ)も あったが、「差別(さべ)に さらされ、必死(ひっし)に 生(い)きた 被爆者(ひばくしゃ)が 安(やす)らかに 眠(ねむ)れる 場所(ばしょ)に」と 押(お)し切(き)った
▲ 身寄(みよ)りが なかったり 合葬(がっそう)を 望(のぞ)んだりした 被爆者(ひばくしゃ)と 家族(かぞく)52人(にん)が 眠(ねむ)る。〈 われら/ 生命(いのち)もて/ ここに記(き)す/ 原爆(げんばく)/ 許(ゆる)すまじ 〉。傍(かたわ)らの 碑(ひ)に 刻(きざ)まれた 言葉(ことば)の ごとく 生(い)きた 山本(やまもと)さんの 遺骨(いこつ)も モミジの 色(いろ)ずく頃(ころ)、納(おさ)められる。( ー 引用 ー )
8月8日88歳で亡くなった
原爆症認定集団訴訟の全国原告団長として率いた
山本英典さんの信念のすごさを感じると共に、
どんなに苦しいことや辛いことがあっても
自分自身を信じ信念をもって行動していく大切さを学びました。
私が仮に88歳まで生きれたとして35年。
残りの人生、信念をもって行動していきます。
あなたは、本日の天風録で
何を感じ、
何を学び、
そして、
どう行動して行こうと思いましたか?
憲法36条と死刑制度・・・
あなたは、憲法36条の死刑制度を知っていますか?
本日の天風録で
憲法36条の死刑制度について学び
教えてもらいました。
わが国(くに)の 憲法(けんぽう)に 1カ所(いっかしょ)だけ 「絶対(ぜったい)に これを 禁(きん)ずる」と 感情(かんじょう)を むき出(だ)しにした 表現(ひょうげん)がある。その第(だい)36条(じょう)が ダメ出(だ)しするのは 「公務員(こうむいん)による 拷問(ごうもん)及(およ)び 残虐(ざんぎゃく)な 刑罰(けいばつ)」。解釈(かいしゃく)次第(しだい)では、死刑制度(しけいせいど)を 憲法違反(けんぽういはん)と みなすことも できそうだ
▲ その死刑(しけい)が きのう、北九州市(きたきゅうしゅうし)の 特定危険指定暴力団(とくていきけんしていぼうりょくだん)「工藤会(くどうかい)」トップに 言(い)い渡(わた)された。市民(しみん)4人(にん)を 拳銃(けんじゅう)や 刃物(はもの)で 襲(おそ)って 死傷(ししょう)させた 凶悪事件(きょうあくじけん)を 「首謀(しゅぼう)」したの だから、遺族(いぞく)や 被害者(ひがいしゃ)に すれば、それこそ 絶対(ぜったい)の 判決(はんけつ)だろう
▲一方(いっぽう)、実行役(じっこうやく)に 指示(しじ)したことを 示(しめ)す 直接(ちょくせつ)の 証拠(しょうこ)は ない。反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく)を かばうつもりは 毛頭(もうとう)ないものの、疑(うたが)わしきは 罰(ばっ)せずが 刑事裁判(けいじさいばん)の 大原則(だいげんそく)のはず。今回(こんかい)の 判決(はんけつ)が、そこに背(そむ)くことは 絶対(ぜったい)に ないと 言(い)い切(き)れるの だろうか
▲ ここは 工藤会(くどうかい)という 組織(そしき)に 対(たい)する 死刑判決(しけいはんけつ)と 解釈(かいしゃく)しても よさそうだ。脅(おど)しに 屈(く)することなく 対峙(たいじ)してきた 市民(しみん)の 安心(あんしん)・安全(あんぜん)を 守(まも)りながら、会(かい)を 解散(かいさん)・壊滅(かいめつ)へと 追(お)い込(こ)んで いく。地域(ちいき)の 踏(ふ)ん 張(ば)りは むしろこれからだろう
▲ くだんの条文(じょうぶん)を 巡(めぐ)っては 「死刑(しけい)そのものが、一般(いっぱん)に 直(ただ)ちに 残虐(ざんぎゃく)な 刑罰(けいばつ)に 該当(がいとう)するとは 考(かんが)えられない」との 最高裁(さいこうさい)の 判例(はんれい)が ある。絶対(ぜったい)という 断定(だんてい)を 避(さ)け、解釈(かいしゃく)の 余地(よち)を 残(のこ)した 言(い)い回(まわ)しで はある。(ー引用ー)
本日の天風録を読んで感じることは、
私に憲法36条死刑判決云々について語ることは難しくて
出来ませんが、
改めて、反社会的勢力の組織のトップに限らず、
どんな組織のトップでもその組織のトップである限りは、
「責任重大である」と感じました。
あなたは、
本日の天風録を読んで
何を感じ、
何を学び、
そして、
どの様に行動しようと思いましたか?
家族力がやせ細る時代の「受援力」・・・
あなたは、「受援力(じゅえんりょく)」という言葉を知っていますか?
本日の天風録で、「受援力(じゅえんりょく)」の言葉を知り、
意味をしり、その言葉を活用する際に必要な心構えと
大切なモノが何かを教えてもらいました。
題名(だいめい)に「力(りょく)」と 銘(めい)打(う)つ 新刊本(しんかんぼん)は おなじみでも、「鳥取力(とっとりりょく)」とは・・・。小(ちい)さくとも キラリと 光(ひか)る県(けん)の 発信力(はっしんりょく)を 指(さ)すのだろう。きのうの 本紙(ほんし)くらし面(めん)にも 「受援力(じゅえんりょく)」と、なじみのない 言葉(ことば)が 見(み)えた
▲ 唱(とな)えているのは 「高齢社会(こうれいしゃかい)を よくする 女性(じょせい)の会(かい)・広島(ひろしま)」である。思(おも)いがけぬ 体(からだ)の 変調(へんちょう)や 骨折事故(こっせつじこ)に 見舞(みま)われたときに 声(こえ)を 上(あ)げ、助(たす)けを 受(う)け入(い)れる 心構(こころがま)えや 腕前(うでまえ)を 指(さ)す。ましてや コロナ禍(か)で 「巣(す)ごもり」生活(せいかつ)の さなかである。不安(ふあん)の 種(たね)は 増(ま)していよう
▲ それは 支援者(しえんしゃ)を その気(き)に させる 力(ちから)でもあろう。困(こま)り 事(ごと)は 何(なに)か、分(わ)かりやすく 伝(つた)える 言葉(ことば)が 要(い)る。釣(つ)り込(こ)むような 笑顔(えがお)も あるに 越(こ)したことはない。家族(かぞく)の 力(ちから)が やせ細(ほそ)る 時代(じだい)を 生(い)きるための たしなみとも 言(い)えそう
▲ 一方(いっぽう)で、この社会(しゃかい)は 「人(ひと)に 迷惑(めいわく)を 掛(か)けては いけない」との しつけが 厳(きび)しい。字引(じびき)でも、【 世話(せわ)に なる 】の 語釈(ごしゃく)は 「面倒(めんどう)を かける」「厄介(やっかい)に なる」。支援(しえん)は 心配(しんぱい) ご無用(むよう)にーとの やせ我慢(がまん)も 過(す)ぎれば、袋小路(ふくろしょうじ)が 待(ま)ち受(う)ける
▲ 災害(さいがい)の 21世紀(せいき)でも ある。ボランティアの 支援(しえん)を いつ仰(あお)ぐかも しれず、受援力(じゅえんりょく)は 大事(だいじ)な 心掛(こころが)けと いえよう。小欄(しょうらん)の ような 会社(かいしゃ)人間(にんげん)にも、学習(がくしゅう)で 身(み)に付(つ)くと 聞(き)く。まずは 鏡(かがみ)を 前(まえ)に、ほほ笑(え)む 稽古(けいこ)あたりから、か。( ー 引用 ー )
改めて、
介護の現場にも必要なことなので、
笑顔づくりに取り組んでみようと思いました。
あなたは、
本日の天風録で
何を感じ
何を学び
そして
どの様に行動しようと思いましたか?
パラリンピックの「パラ」の意味・・・
あなたは、パラリンピックの「パラ」の意味を知っていますか?
本日の天風録では、
パラリンピックの「パラ」の意味と
創始者のグッドマンの名言を
教えてもらうことができました。
東京(とうきょう)パラリンピックの アーチェリー日本選手(にほんせんしゅ)が 急(きゅう)きょ 出場(しゅつじょう)を 辞退(じたい)した。他人(たにん)の 弓(ゆみ)に 触(ふ)れたのが 理由(りゆう)。殺傷(さっしょう)能力(のうりょく)が 高(たか)い 洋弓(ようきゅう)は 安全(あんぜん)上(じょう)の 決(き)まりが 厳(きび)しく、本人(ほんにん)も 反省(はんせい)している と伝(つた)わる。その心中(しんちゅう)や いかに
▲ 第2次大戦(だいにじたいせん)終結後(しゅうけつご)、英国(えいこく)で 傷病兵(しょうびょうへい)のための アーチェリー大会(たいかい)が 催(もよお)された。これが パラリンピックの 起源(きげん)。的(まと)に 集中(しゅうちゅう)することが、車(くるま)いすの 人(ひと)の リハビリに つながると 考(かんが)えられた。下半身(かはんしん)まひを 意味(いみ)する パラプレジアの「パラ」が 当初(とうしょ)の 語源(ごげん)でも あった
▲〈 失(うしな)われたものを 数(かぞ)えるな 〉とは 創始者(そうししゃ) グッドマンの 名言(めいげん)。〈 残(のこ)されたものを 最大限(さいだいげん)に 生(い)かせ 〉 と続(つづ)く。東京(とうきょう)パラリンピック、あす 開幕(かいまく)する
▲ 本紙(ほんし)に 郷士勢(ごうしぜい)の 連載(れんさい)が 走(はし)る。悪性(あくせい)肉腫(にくしゅ)で 左脚(ひだりあし)を 失(うしな)うが、カヌーと 出会(であ)って 人生(じんせい)に 再(ふたた)び 漕(こ)ぎだす 男子選手(だんしせんしゅ)。筋肉(きんにく)が 徐々(じょじょ)に 衰(おとろ)える ボッチャの 男子選手(だんしせんしゅ)は 1年(いちねん)延期(えんき)の リスクとも 闘(たたか)う。視覚障害(しかくしょうがい)の ある女子選手(じょしせんしゅ)は ゴールボールに 挑(いど)み、過去(かこ)「ボコボコに された」国(くに)との 対戦(たいせん)を 楽(たの)しみに 待(ま)つ
▲ 今(いま)の パラは 「もうひとつの」を 意味(いみ)する パラ。五輪(ごりん)の 添(そ)え物(もの)ではない。本来(ほんらい)は 多(おお)くの 子(こ)どもたちの 観戦(かんせん)を 願(ねが)いたいが、コロナ禍(か)の 今(いま)は 難(むつか)しいか。せめて、パラの 意味(いみ)が 人々(ひとびと)の 記憶(きおく)に とどまる 2020で あれ。( ー 引用 ー )
改めて、
コロナ禍のパラリンピックではありますが、
選手の皆さんから
たくさんの感動と勇気を頂きたいと
思っています。
せれにしても、
創始者のグットマンの名言
「 失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」は
日々認知症高齢者に携わる中で、心掛けている言葉でもあり
たいへん勇気づけられる言葉でした。
あなたは
本日の天風録で
何を感じ
何を学び
そして
どの様に行動しようと思いましたか?
本日は以上です。
笑福亭仁鶴さんの教え・・・
あなたは、笑福亭仁鶴さんのことを知っていますか?
本日の天風録では、
その笑福亭仁鶴さんの上方落語(芸)の世界での
心掛けていたこと、心掛けることについて教えてもらいました。
きっぷの良(よ)さが 江戸落語(えどらくご)の 聞(き)きどころならば、上方(かみがた)では コテコテの 芸風(げいふう)が 好(この)まれるらしい。似(に)て非(ひ)なるようでも、噺家(はなしか)としての 誉(ほま)れに 東(ひがし)と 西(にし)で 違(ちが)いは ない という。上方風(かみがたふう)に 言(い)えば、「迎(むか)え手(で)よりも、送(おく)り手(で)でんなぁ」
▲ 演芸場(えんげいじょう)の 舞台(ぶたい)に 上(あ)がった 時(とき)の、「待(ま)ってました」の 拍手(はくしゅ)が 迎(むか)え手(で)である。対(たい)して、送(おく)り手(で)は 高座(こうざ)を 下(お)りる 背中(せなか)越(ご)しに 聞(き)く。期待感(きたいかん)交(ま)じりの 迎(むか)え手(で)とは、ひと味(あじ)も ふた味(あじ)も 変(か)わってこよう
▲ 84歳(さい)で 帰(かえ)らぬ人(ひと)となった 上方落語(かみがたらくご)の 大御所(おおごしょ)、笑福亭 仁鶴(しょうふくてい にかく)さんも 芸談集(げいだんしゅう)「青春(せいしゅん)の 上方落語(かみがたらくご)」で 触(ふ)れている。人気(にんき)の バロメーターである 迎(むか)え手(で)より、高座(こうざ)を 下(お)りる時(とき)の 方(ほう)が 気(き)になるーと。大看板(だいかんばん)とも なれば、ふがない芸(げい)で 客(きゃく)を 裏(うら)切(ぎ)る 怖(こわ)さが 先(さき)に 立(た)つ日(ひ)も あったはず
▲ 半世紀(はんせいき)前(まえ)から ラジオの 深夜番組(しんやばんぐみ)で 話術(わじゅつ)を 鍛(きた)え、テレビ界(かい)では 「視聴率男(しちょうりつおとこ)」として 名(な)を はせた。売(う)れっ子(こ)ぶりで ビートルズに 引(ひ)き比(くら)べ られたことも ある。それでもなお、あぐらをかくことなく、晩年(ばんねん)まで 高座(こうざ)勤(つと)めを おろそかに しなかった。あの「誉(ほま)れ」が 頭(あたま)の 隅(すみ)に あったに 違(ちが)いない
▲ 角(かど)が 立(た)つ 浮世(うきよ)に 笑(わら)いで 鉋(かんな)を かけ、まぁーるくおさめてきた 仁鶴(にかく)さん。人生(じんせい)の 舞台(ぶたい)を 去(さ)る 背(せ)に、やんやの 送(おく)り手(で)が 鳴(な)っている。( ー 引用 ー )
改めて、
本日の天風録を
自分の人生に例えて考えてみました。
誕生「おめでとう!」と、迎え手で期待され、
成長し老いを迎え衰退していく過程の中で
人生最期の時、盛大な送り手で送り出してもらいものだぁと思いました。
その為は、今何ができるのか?を考えるに、
日々の生活に、あぐらをかくことなく、
「素直な心で、
プラス思考で、もの事を捉え
取り組んで行きたい。」
そう思うようになりました。
あなたは、本日の天風録で
何を感じ
何を学び
そして、
どう行動して行こうと思いましたか?
最後に、
この度の笑福亭仁鶴さんの訃報、
心からお悔やみ申し上げます。