引き継がれる「意志」・・・
あなたは、知っていましたか?
天気予報にも「冬」の時代があったことを・・・
本日の天風録で、日本の天気予報の過去に、
「冬」の時代があったことを教えてもらいました。
本日の天風録で、日本の天気予報の過去に、
「冬」の時代があったことを教えてもらいました。
【 本日(2021.04.21)の 天風録 】
今村 明恒(いまむら あきつね)という 地震学者(じしんがくしゃ)がいた。昭和三陸大津波(しょうわさんりくおおつなみ)の 惨状(さんじょう)を 見(み)た 彼(かれ)は、南海地震(なんかいじしん)を 予知(よち)すべく 私財(しざい)を 投(とう)じる。だが 戦時下(せんじか)には 地震計(じしんけい)の 用紙(ようし)まで 底(そこ)を つく。当時(とうじ)の 記録(きろく)は「煤(すす)書(か)き」式(しき)。 煤(すす)を 払(はら)って 紙(かみ)を 使(つか)い 回(まわ)した
▲ 海辺(うみべ)の 観測(かんそく)は 軍部(ぐんぶ)に 邪魔者(じゃまもの) 扱(あつか)いされ、食(く)うため 畑(はたけ)を 開(ひら)くと ラジオ局(きょく)が 取材(しゅざい)に 来(く)る。「ついに カボチャの 話(はな)しか できなく なったか」と 今村博士(いまむらはかせ)。放送(ほうそう)は 敗戦(はいせん)の 5日前(いつかまえ)だった。「津波(つなみ)てんでんこ」の 言葉(ことば)を 広(ひろ)めた 山下 文男(やました ふみお)さんの「隠(かく)された 大地震(だいじしん)」から
▲ 元(もと)気象庁(きしょうちょう)の 増田 善信(ますだ よしのぶ)さんも 戦時下(せんじか)の「冬(ふゆ)」を 知(し)る人(ひと)だ。観測所(かんそくしょ)に いたが、荒天(こうてん)でも 漁師(りょうし)には 教(おし)えるなーと 命(めい)じられる。軍部(ぐんぶ)は 予報(よほう)で 救(すく)える 命(いのち)よりも 機密(きみつ)を 重(おも)んじた
▲ おととい 97歳(さい)の 増田(ますだ)さんは 自(みずか)ら 集(あつ)めた 6万人(まんにん)余(あま)りの 著名(しょめい)を 突(つ)きつけ、政府(せいふ)に 異(い)を 唱(とな)えた。戦後(せんご)、戦争(せんそう)のための 科学(かがく)を 放棄(ほうき)すると 宣言(せんげん)した 日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ)への 政治介入(せいじかいにゅう)を、老学者(ろうがくしゃ)が 憂(うれ)えたのは 当然(とうぜん)だろう。フェイスブックなど 駆使(くし)するとは 意外(いがい)だったが
▲ 76年前(ねんまえ)の 晩夏(ばんか)、電灯(でんとう)の 黒(くろ)い 布(ぬの)が 外(はず)され、ラジオと 新聞(しんぶん)に 天気予報(てんきよほう)が 復活(ふっかつ)すると、誰(だれ)もが 「冬(ふゆ)」の 終(お)わりを 実感(じっかん)した。増田(ますだ)さんも 「天気予報(てんきよほう)は 平和(へいわ)の シンボル」と言(い)う。署名(しょめい)とともに 重(おも)みを 持(も)つ 至言(しげん) ※1 で ある。( ー 引用 ー )
改めて、
今村明恒さんの功績を学ぶことができ、
「津波てんでこ」の言葉を広めた山下文男さんのことを知り、
増田善信さんの「天気予報は平和のシンボル」と言う署名とともに、
活動について学ぶことができました。
また、
戦時下に於いて、予報で救える命より、
機密を重んじた軍部のあり方に、腹立たしさを感じたのは
私だけでしょうか?
【語彙の学び】については、
「至言(しげん)」について学びました。
※1 「至言(しげん)」とは・・・本質を言い当てた言葉。
「至言(しげん)」を使った例文として、
「情けは人のためにならず」とは、まさに至言である。
あなたは、
本日の天風録で、何を感じ、何を学び、
そして、
どう行動することが良いかを考えてみられましたか?