富永一郎さんの縁とゆかり・・・
中国新聞天風録を「読み・書き・タイピング」し
世の中の出来事を学びながら
認知症予防に「考える力」を養っています。
本日も、こんな事を学び、考えてみました。
【 本日(2021.05.23)の 天風録 ↓ ↓ ↓ 】で学び、考えたこと。
出演者(しゅつえんしゃ)同士(どうし)の 軽妙(けいみょう)な やりとりや、独特(どくとく)の ユーモラスな 絵(え)で、お茶(ちゃ)の 間(ま)の 人気(にんき)を 集(あつ)めた。1976から20年(ねん)近(ちか)く 続(つづ)いた バラエティ―番組(ばんぐみ)「お笑(わら)い マンガ道場(どうじょう)」を レギュラーとして 支(ささ)えた 漫画家(まんがか)の 富永 一郎(とみなが いちろう)さん。きのう 訃報(ふほう)が 届(とど)いた
▲高梁市(たかはしし)にある 漫画(まんが)美術館(びじゅつかん)の 名誉(めいよ)館長(かんちょう)を 務(つと)めるなど、中国地方(ちゅうごくちほう)との 縁(えん)も ある。広島(ひろしま)では、本業(ほんぎょう)より 熱心(ねっしん)な カープファンとして 知(し)られる。万年(まんねん) Bクラス時代(じだい)からだから 年季(ねんき)が 入(はい)って いる。1966年(ねん)、東京(とうきょう)で 旗揚(はたあ)げした「優勝(ゆうしょう) させる会(かい)」にも 名(な)を 連(つら)ねた
▲その 9年後(ねんご)に 初優勝(はつゆうしょう)した 時(とき)は、自(みずか)ら 歌(うた)って 応援歌(おうえんか)まで 出(だ)した。長(なが)い 低迷(ていめい)を 知(し)るから 感激(かんげき)も ひとしお だったろう。90歳(さい)を 過(す)ぎた 5年前(ねんまえ)、「長生(ながい)き するもんだ」と 久々(ひさびさ)の リーグ制覇(せいは)を 喜(よろこ)んだ そうだ
▲京都(きょうと)生(う)まれで 大分(おおいた)育(そだ)ち。遠(とお)いはずの カープとの 縁(えん)を 結(むす)ぶ きっかけは 阿南 準郎(あなん じゅんろう)元監督(もとかんとく)である。大分(おおいた)で 先生(せんせい)を していた 時(とき)の 教(おし)え子(ご)の 一人(ひとり)という。当時(とうじ)、野球(やきゅう)の 腕前(うでまえ)は 互角(ごかく)だと 話(はな)して いたのは 半(なか)ば 自慢(じまん)だったのかも しれない
▲既(すで)に、「させる会(かい)」の 仲間(なかま)と 再会(さいかい)した だろうか。チームは 今(いま)、不振(ふしん)と コロナ禍(か)に 見舞(みま)われて いるが、どんな 時(とき)も くじけないのが 往年(おうねん)の ファン。天上(てんじょう)から 熱(あつ)い 声援(せいえん)が 聞(き)こえて くる ようだ。( ー 引用 ー )